1960.3.22~4.9 受験地獄からの開放・・・目的の喪失
(注: 3月22日から4月の9日まで日記帳には何も書かれていない。おそらく放心状態だったのだろう。 ただ、何かと忙しかったことは確かだ。うろ覚えながら、思い出せることを記すと・・・)
錦糸町に住む叔父からの合格第1報のあと、夜遅くまで見知らぬ先輩からの祝賀電話が相次いだ。
中には東大以外の有名校、例えば、一橋大学へ行った先輩から、私の合格祝いだけでなく、他の同期生や同窓生の戦果まで知らせてくれる人もいた。今ではまったく考えられないことだ。良くも悪くもこれが励みともなり、また、重圧にもなっていたのだろう。
小6の時の級友で前年に前高から理科2類に入っていた寺田尚弘君が私の家までお祝いに来てくれた時は嬉しかった。彼とは、小5の時の赤城登山でも一緒だった。
日記帳には記述が無いが、この間に慶大の合格発表を見に行ったはずだ。それが、三田だったか日吉だったかすら覚えていない。
東大合格については、祖母と母、それから叔父にお礼参りに行くよう言われた記憶がある。
祖母は高尾山、母は桐生の天神様、叔父は成田山新勝寺のお蔭だと言うので、この際、素直に従うのが正解だと遠路3箇所を回ってきた。とくに高尾山は生まれて始めていくところで、参道に聳える杉の大木が印象に残っている。それぞれ証拠物件を持って帰ったはずだが、何だったか覚えていない。
とくに母は、末広町の我が家から片道30分くらいかかる天神様に毎日歩いてお参りしていたと言うので、思わず目頭が熱くなった。お蔭で、今まで気にもしていなかった桐生天満宮の造作をじっくり検分することができた。
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