1961.7.18(火) 上野発夜行列車で一睡もせず
昨夜は一晩中遂に一睡もしなかった。 左側で美作、東と小山さんが話しているのが耳についたというか気になったせいもあるが、それよりもとにかく気が張っていて眠気が起こらなかったと言うべきであろう。 篠ノ井で下車、丸子まで二十円也の電車に乗り、バスで美ヶ原の麓まで行った。
途中、霧が深く、ときには雨かと思われるほどだったのでがっかりしたが、行くほどに晴れ間が見え深い谷なども見下ろせるようになったので嬉しかった。 途中下車して、思い出の丘で朝食を摂ったが、どうしても朝と言う気がしなかった。
美しの塔を経て山本小屋へ向かう途中、霧が深くなって道に迷いかけた一幕もあったが、無事小屋へ辿りつくことが出来た。 直ちに昼食の支度となったが、我々は専ら火起こし掛りで、炊事は一切女性に任せっきり、まことに申し訳ないようであった。
(8.28 疲れた・・・暫く休憩。 )
食後、大挙して散策に出かけたが、途中、バテた者が出たのでいろいろ相談した結果、二手に分かれて行動することになり、僕は、美作、若槻、黒川、高橋、大村、武藤らとともにバテ組に加わることにした。 折から空もからりと晴れ渡り、高原の気分を満喫することができた。
帰って一休みした後、夕食の仕度にかかったが牧牛がふらふらと何頭も迷い込んできたのには肝を冷やした。 おまけに場所柄もわきまえず交尾など始めたのにはぞっとした。 そのうちに水は止まるし全く恨めしい牛どもであった。
食後のキャンプファイアーの楽しかったことは全く筆舌に尽くせない。 恐らく生涯の思い出となる事であろう。 それにしても消灯になったとき、レインコートを被ったままバンガローから顔を出した黒川の姿の愉快だったことは、この夜の楽しさに更に一興を添えるものであった。
皆、小屋に入ってからも気持ちの治まらぬ連中(僕もその一人だった)が、十人ほどでまた上の牧草地まで登り、星を眺めながら暫く話をしたが、そのうち星がどんどん消えていくので驚いて懐中電灯をかざすと霧がさあーっと寄せてくるではないか。 気味の悪いことと言ったらなかった。 皆、泡を食って逃げ帰ったものである。 床に着いてからまた暫くくだけた話をしているうちに皆いつのまにか眠ってしまったらしい。
(注: 思えば随分強行軍だったようだ。 1年前、記憶を頼りにHPを書いた時、夜霧の恐ろしかったことは覚えていたが、牧牛の傍若無人な行為や黒川の珍妙だったらしい姿、それにもまして感激したと言うキャンプファイアーのことまですっかり忘れていた。 こういうことを思い出せるというのも日記と言うものの効用の一つだろう。 それにしても、美ヶ原高原の歌 "仰ぎ見る丘美ヶ原" を誰かのリードで歌ったことに全く言及がないのはさびしい。 多分、それほどパッとしないメロディーだったからだろう。 )